当時25歳。よく友人に驚かれるけど、スーツケース1つで引っ越しました。身軽!
25歳という若さのおかげか、2011年の震災で確実な未来はないって人生観が変わったことも大きかったのか、お金貯めて移住するって決めてた手前、実行しなきゃいけないノリだったのか、、、移住に対しての心構えみたいな、当時の心境はあんまり覚えてないけど、何はともあれ無事に10年になりました。
10年って長いよね。
バルコニーで育てたダリア。 |
Twitterでもこのことについて呟きました。
2012年8月17日に関空を出発した私。当時25歳。スーツケース一つでスウェに引っ越して、今日で移住丸10年😊
— nattan (@nyfiken_jp) August 17, 2022
山あり谷ありな10年、あっという間だったなぁ。大きな病気怪我もなく、今でもパトと仲良く暮らせてけっこう満足な日々。
今日からスウェ人生第2幕が始まる! pic.twitter.com/OULQuSgt8t
(Twitter歴もほぼ10年。リアル友人との繋がりがメインのFBやインスタでは躊躇する投稿でも、Twitterならなんでも書けるっていうこの心ってなんだろ笑)
自分のために、この10年を振り返ってみました。
ものすごく長くなったので、お時間ある方だけどうぞ!┃ω・`)チラリッ…
1年目は、SFIでスウェ語を学び、そこで出会った中国人、ドイツ人、トルコ人、インドネシア人、コロンビア人とベクショー生活を過ごしました。持ち寄りパーティや、水タバコパーティw、FIKAみたいな楽しかった思い出も多いけど、まだまだ周囲と比べてばかりの日々だったな。スウェーデン文化より、世界各国からのクラスメイトへのカルチャーショックの方が、良くも悪くもストレスでした。(でもこのおかげでその後の多文化国家スウェ生活での免疫がついた気がする)
2年目の前半はKorta Vägen(今もあるのか?)。そこからは何も繋がらず涙、縁があって寿司屋でバイトを始めました。そしてSASも再開。学校とバイトで忙しかったけど、日本に帰省したり、パトと2人でロンドンやベルリンに旅行したり、収入があるありがたさを学びました笑。
当時は、10歳近い年下の同僚たちと働くことにストレスや将来への焦りが強かったけど、みんなでAW行ったり、ホムパしたり、ボスも気前がよくて、余ったサーモンやお米は持ち帰り自由だったし、思い返せば良いバイト先だったなぁ。接客業や同僚のおかげで、スウェ語会話力もこの時期にだいぶ伸びました。悩まずにもっと楽しんでおけば良かった。
3年目は引き続きKomvuxで、SAS1、2、3を取り、寿司屋からカフェに転職。働く時間を減らして、バイトから定職への就職活動やスウェ語をがんばりました。春には日本に帰省できたし、夏にはパトとドイツ・オランダを旅行しゴッホを堪能。そして冬は初めてパトを連れて実家に帰って、両親に紹介することができました(今さらw)
この頃からスポーツマンの友人の勧めでジョギングを始めました。スウェ語も伸び悩み、就活も進路もあやふやで、何を頑張ればよいかわからないし、努力が直に結果に結びつかない日々の中で、「自分で決めたこと(例えば5km!)を自分の力で達成する(走り切る)」ことができるジョギングで、ポジティブさを保っていたような気がします(大袈裟?)。
最近めっきり走らなくなったけど、ジョギングはまた再開したい!
4年目は色々と紆余曲折した年でした。4年目の時のブログ(リンク)。
就活が暗礁に乗りあげ、大学進学を意識するようになった年。当時は、日本で取得した教員免許を少しでもいかそうと、Studie- och yrkesvägledare(進路指導者?)を目指そうとしてました。でもこれまたコース途中で気持ちが頓挫。色々考えて、医療系に進むことを決意し、進学準備(NaturkunskapとHögskoleprovet)に取り組みました。進学決意をする前は、バイトに勉強に忙しかったし、将来への焦りや不安から精神状態も健康ではなく、パトとたくさんたくさんぶつかった年だったような気がします。めっちゃ喧嘩した(記憶があるけどあんまり覚えてないけど)。その時支えてくれた皆さんありがとう。みんながいなきゃ、きっと別れてたわ笑
それでも、夏には両親が初めてスウェーデンにやってきて、パト家族と会合。両親とパトと4人で、オランダ、ドイツ、プラハを旅行したし、パトと2人で北スウェーデンへ白夜旅行にもいきました。ました。その冬には、またパトと2人で日本に帰省し、みんなで長野へスキー旅行。パトが家族とかなり仲良しになった年でした。良かった良かった(・∀・)
5年目はとうとう大学入学。あ、その前にSystembolagetでサマーバイトにも挑戦しました。大学生活は、予定していなかった週末婚という形になってしまったし、最初の半年は居候で精神的にも辛かったかなぁ。でもここのご夫婦は超超超良い人で、今でもたまにメールくれるし、今じゃなくて交換留学時代にホームステイしたかったな、って感じでした。でも入学当初はスウェ家族との交流を楽しむどころじゃなかった…
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そして6年目。大学2年目になると勉強にも生活にも慣れてきて、ゆるい大学生活を送りました。2年生になる前の夏休みには、日本へ旅行&帰省。数年ぶりの日本の夏を楽しみました。この時に長岡花火を見に行けたことは、人生の財産になりました。
7年目。この頃になるともうスウェーデン生活の悩みや困り事もなくなり平坦な日々。移住7年目になった2019年の夏は、Systembolagetでのサマジョブに復帰したり、友人家族がベクショーまで来てくれたり、両親と欧州旅行したり。冬にはパトと2人でウィーン旅行。そう、そして2020年に入った頃から、社会は一気にコロナ一色になりました。スウェに移住してから、色々と旅行して毎年飛行機に乗ってたのに、このウィーン旅行を最後に2022年まで海外旅行ができなくなりました。母親が何度も「あの時パリに行っておいて本当に良かった」っていうけど、本当にそうで、いつ何が起こるかわからないもんですね。
大学もオンラインベースになり、週末婚の私にとってはちょっとラッキーでした。家で黙々と卒論を書く日々…卒論と同時に進めてた仕事もあっさり決まりました。本当すぐ決まったから、医療職兼資格職の強さを感じました。仕事が決まってもうスウェ人生をゴールした気分にもなりました。(甘い?)
8年目には、こんなブログを書いてますね(スウェーデンへ移住して約8年。今だから言える事。)最初は大変だったけど、スウェーデン社会のゆるさにも助けられ、日々淡々と働く日々。気持ちの浮き沈みもなくなったし、ブログに書くネタも減りました。と、思ったらコロナ感染!そこからの逆プロポーズ事件もあったなぁ…(遠い目)結果コロナ婚となりましたね。
9年目に入籍&引っ越し。コロナのせいか、生活環境の変化のせいか、8年目と9年目はあっという間に過ぎていった!あんまり記憶がない…
そして10年目になる今、ありがたいことに妊娠し、今年末に第一子が産まれる予定です。
10年って長いけど、過ぎてしまえばあっという間。
ずっと目標にしてた「スウェーデンで経済的に自立する」ことが達成できた今、こっちでの生活にかなり安心感を抱いている自分がいます。スウェーデン語がこんなんでも、よほどのことがない限り、今後は仕事に困ることはないかな。安定思考な自分なので、この職を選んで良かったなと今でも思います。
肝心のスウェーデン語は、5年を過ぎた頃からずっと伸び悩み。というか、どんどん適当になっている感がいなめないのが正直なところ。もうちょっと上達したいけど、、、したいと思っているだけで、特別努力はしてません…後々困りそうでちょっと怖いけど。
でもこんな感じで、ゆーーーくり登っているのかな、と願ったりもしている。
語学の勉強を進めるにつれ、だんだん以前ほどの上達が感じられなくなってきて、それがスランプに繋がるんだけど、語学ってエレベータ状に一直線に上達するんじゃなく螺旋階段状で、しかも上に行くほど直径がどんどん広くなるので、同じ高さを登るにしても最初のころよりずっと沢山歩く必要が出てくる。 pic.twitter.com/RBPBJ4XROB
— ゆうき 유욱희💉💉💉 (@yuki7979seoul) July 30, 2017
大きな病気も怪我もなく、10年過ごせて良かった。
この先10年、家庭も世界も平和でありますように。
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