01 6月 2018

家族を亡くすこと。

イースター休暇前の水曜の夕方に、日本にいる兄から「パパの体調が悪いようだ」と連絡がきました。


パパとは、いわば近所のおじちゃん(というかおじいちゃん)で、私たち兄弟が生まれた頃からお世話になっていた人。だから血が繋がってなくても親戚より近い存在なのに、パパとウチらの関係性を説明する表現がないので、けっこう困ります。おじいちゃんでもない、叔父ちゃんでもない。スウェーデン語ではdagpappaという表現があります。

両親がバリバリの共働きで忙しかったので、私たち兄弟は生まれた時からパパの家にお世話になっています。幼稚園、小学校が終わったらパパの家に帰り、パパの奥さん(タータンと私たちは呼んでいた)が作ってくれたおやつや夕ご飯を食べたり、宿題をしたり。

こう書いたら託児所のようだけれど、それよりも私たち兄弟にとってはパパとタータンは年齢的にもおじいちゃん、おばあちゃんのようだったし、彼らの家で過ごした思い出は、小学校時代に両親が建てた実家で過ごした思い出よりも濃く、暖かい時間をパパ家で過ごしました。

私たちは、タータン、パパと血の繋がりは全くないけれど、本当の曾祖父母というか、育ての親でした。

そんなパパが脳梗塞で倒れたのが約10年前。

私はすでに地元を離れていたけれど、もちろん飛んで帰りました。本当にびっくりしたけど、幸いなことに手術も成功し、奇跡的に回復して、その後は少し足が不自由になったけれど、それでもまだ車も運転できていたし、とても元気でした。

それでも加齢には勝てない。

地元に帰って会いに行く度に、年々足腰が弱くなったなぁ、耳が遠くなったなぁ、、、と。あんなに元気でたくましかったパパも、やっぱりどんどん「おじいちゃん」になっていくのを目の当たりにするのは、なんともいえない切ない気持ちでした。

数年前は、足が弱くなったパパに付き添って、故郷・鹿児島まで里帰りに同行しました。

もう過疎化で数えるほどの人しか住んでいない集落の、そのまた奥地にあるパパ家代々のお墓の前で無言で手を合わせるパパの姿。寡黙なパパが妙に饒舌で、子ども時代の思い出をたくさん話してくれました。

今振り返ると、あの時里帰りに同行できてよかったな。
少しは親孝行できたかな。

ゆっくりゆっくりと歳をとり、細く、小さくなっていくパパ。

そして去年の8月、大動脈瘤が破裂し、8時間にも及ぶ緊急大手術を受けました。

その時も医者には覚悟してくださいと言われたので、日本に帰国しようかと思いましたが、なんとか持ち直してくれました。

年末年始に日本に帰省した時は、入院中で頬もずいぶん痩せてたけれど、元気な顔をみることができたし、もう認知症も出ていたので私のことを認識するまでに少し時間はかかったけれど、「おぉ、なっちゃんかぁ。なっちゃん、はよー結婚せーよ」と言われました。



それが、パパからの最後の言葉になりました。



いつかはパパとお別れすることになるとわかっていたけれど、今までだってパパは大きな病気を2度も乗り越えたんだから、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と自分で思い込んでいました。

だから今回兄から連絡が来た時も、まだ大丈夫、今回だって大丈夫だろうと思っていました。たぶん兄弟みんなそう思っていたと思います。


でも、2018年の3月29日、とうとうさよならの日になってしまいました。


スウェーデン時間で朝方に家族から報告を受け、まだヨンショーピンにいた私はその日はとても大学にいけるどころでなくベクショーに戻ることに。

移動中、公共の場で泣かないようにしても、コントロールできない悲しさというものがあるんだと初めて知りました。泣かないように努めても涙がとまなない。


すぐ帰れる距離でもないので、今回はどう頑張っても直葬には間に合いませんでした。というのも、ちょうどイースター・ホリデーに入る頃で、当日発の適当な航空券がなかなか見つからなかったので。

それでも連絡を受けてから2日後の便で帰れることになりました。

火葬には間に合わなかった。最後に会えなかった。


それでも、帰ってよかったと思います。


航空券は今までの購入してきた中でも一番高額だったけれど、こういう時にこそ緊急帰国できるように、今まで友人の結婚式等で帰国することは諦めてきました。

それでも購入を躊躇う私に、こういう時に帰れるために貯金してきたんだから、と言って背中を押してくれたパトには本当に感謝しています。


四十九日を迎えた今、パパはどこにいるのかな。


帰るたびにいってくれた「また来いよ」がもう聞けないんだなぁ。
パパにもう会えないんだね。まだまだ実感がわきません。

30年生きてきて、精神的に身近な人を亡くすことは初めての経験でした。
6年前に祖母を亡くした時も涙は出たけれど、やはりここまで悲しくなかった。

3月29日から、毎日毎日パパのことを思い出します。

さすがに涙が出る頻度は減ったけれど、それでも悲しい、寂しい。
もちろん突然の訃報でもなかった。年齢も年齢だし、覚悟は少しはできていたと思う。
それでも悲しくて寂しい。

家族を亡くすと、こんなに悲しいことなんですね。


今年の初盆は、ようやく末っ子も成人するので、兄弟全員で弔い酒として献杯したいと思います。


パパ、スウェーデンで頑張るからね。私も、兄弟のこともずっと見守っていてください。

合掌

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