うふふ、嬉し恥ずかし。
、、、なーんて言っても、ブログは自分にとっての覚書・日記帳のような感じで書いているので、書いている内容は他人様のお役になんかまったく立てない(立とうと思ってさえいない)ので恐縮です。
その方には、「ブログから、あなたが頑張っているのが伝わってきました!」なんて言ってもらいました。
その感想(?)は、自分にとってかなり意外なものでした。
「頑張っている?」
「私、頑張っているのか?」
ブログの内容から、こいつ頑張ってるなぁと思ってもらえただなんて驚きです。
頑張ってたら、もっと社会に溶け込めてたと思うし、スウェ語も上達してたと思うし、日本語のサイトを読み漁ったりしてなかったと思うし、万年ダイエッターじゃなかったと思うし。。。
っていうかそもそも頑張るって何?
生きているだけで頑張っているのか?
でも思い返せば、移住して最初の1、2年はなんとなく頑張っていたような気がします。
ご優秀なクラスメートに追いつこうとSFIは必死だったし、その後の難民相手のプラクティークはそれまでの自分の価値観を覆されるぐらいの衝撃で日々ストレスフルだったし、日本食レストランで働き始めてからは、ヤングなスウェ人女子たちに圧倒されまくり&言語的にわかんないことばかり。それに加えてスウェ語の授業も受けていたので、時間的にも精神的にもあまり余裕がなかったです。
でも「この頑張っていたような気」がするのは、私の中で「頑張ってる」=「辛い、大変、必死」っていう意味で捉えていたからでしょうか。
在住3〜4年になると、言語面で大変な目にはたくさんあったけど、生活に慣れたり、自分のキャパを知って心を整えたり(by長谷部)、日々の「辛い」ことが少なくなったので、頑張った感じはあまりありません。もちろん異国で生きていくための私ができる最低限の「努力」はしたとは思いますが。でももっと努力できただろうな。(efterklok)
じゃー「頑張る」と「努力する」の違いは何かと聞かれてもよくわからないけれど、なんとなく、「頑張る」って必死でもがくって感じ。「頑張る」は根性や精神論っぽくて、努力は、方向が定まっていて合理的な感じ?
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でもここで暮らしていると、私のこの「努力」や「頑張り」に対する考えがゆさぶれる出来事はたくさんあります。
少々の体調不良でシフトを変われと当日にいってくる女子、
課題を期限までに提出しないスウェ人男子、
授業にいつのまにか来なくなるスウェ人クラスメート、
心の調子が良く無いとかで休職を繰り返すパトの元同僚、
皿洗いなんてしたくない、と有名カフェのプラクティークを断る少年、
特に教職関係、飲食業関係、休職中の人多くない?
「スウェーデン人、もっと頑張れよ!」って思ったことは何度あったか。
課題を期限までに提出しないスウェ人男子、
授業にいつのまにか来なくなるスウェ人クラスメート、
心の調子が良く無いとかで休職を繰り返すパトの元同僚、
皿洗いなんてしたくない、と有名カフェのプラクティークを断る少年、
特に教職関係、飲食業関係、休職中の人多くない?
「スウェーデン人、もっと頑張れよ!」って思ったことは何度あったか。
でも、人の「頑張り」や「努力」って他人が測って決めるものじゃないですよね。その人にとっては十分努力しているのかもしれない。
私に関してだって、人生ゆるゆるのパトにとったら、私はかなり努力しているように見えるかもしれないけれど、日本でバリバリやっている人にしてみれば、私は何も頑張ってないように思われるかもしれない。
私に関してだって、人生ゆるゆるのパトにとったら、私はかなり努力しているように見えるかもしれないけれど、日本でバリバリやっている人にしてみれば、私は何も頑張ってないように思われるかもしれない。
自分が「努力している」って思えれば十分じゃないか。
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努力は大事。とくに異国で暮らして生きていこうと思うのなら。
でも頑張りすぎて無理をするのはよくない。
でも、自分の中の「努力」と「無理」の境界線がわからなくなることがよくあります。
私の「努力」だと思っていることが、ゆるーいスウェーデン人の多くにとったら「無理」っていう定義に入るのかもしれない。
よくわからなくなったので、「無理と努力の違い」をgoogleさんに聞いてみる。
いろんな検索結果がヒットしたけど、自分にしっくりきたのは、やる理由がある時は「努力」で、やる理由が無い時は無理っていう説明。
あとは「ストロボ・エッジ」っていう胸キュン系(?)の新世代漫画で、かっこいい主人公が「どうしようもないのに努力し続けるのが「無理」ってことじゃん?(訳済)」って言っているようです。読んでみたいぞ、この漫画。
私はスウェーデンでやっていくには、スウェ語の習得はやる理由があるので努力すべきだし、自立した生活が送れるように、就職するための努力はしなくちゃいけない。
でも無理をしすぎたら本末転倒。
で、次に出くわす問題は、「無理をしないこと」ことと「甘える」の境目。
でも、自分の中の「努力」と「無理」の境界線がわからなくなることがよくあります。
私の「努力」だと思っていることが、ゆるーいスウェーデン人の多くにとったら「無理」っていう定義に入るのかもしれない。
よくわからなくなったので、「無理と努力の違い」をgoogleさんに聞いてみる。
いろんな検索結果がヒットしたけど、自分にしっくりきたのは、やる理由がある時は「努力」で、やる理由が無い時は無理っていう説明。
あとは「ストロボ・エッジ」っていう胸キュン系(?)の新世代漫画で、かっこいい主人公が「どうしようもないのに努力し続けるのが「無理」ってことじゃん?(訳済)」って言っているようです。読んでみたいぞ、この漫画。
私はスウェーデンでやっていくには、スウェ語の習得はやる理由があるので努力すべきだし、自立した生活が送れるように、就職するための努力はしなくちゃいけない。
でも無理をしすぎたら本末転倒。
で、次に出くわす問題は、「無理をしないこと」ことと「甘える」の境目。
私の周りには、流れに身を任せるようなゆるーーーい人生観で生きているパトや、その家族・友人たち(類は友を呼ぶ)ばかりなので、「頑張りすぎないで、無理しないで。」「大丈夫だよ、なるようになるよ」「頑張りすぎるのは日本人の悪い癖!(←偏見じゃない?)」とか、私を甘やかすような言葉をたくさんくれます。
自分は努力しているのに、周囲に「もっと頑張れよ!努力が足りない!」って責められるよりはマシかもしれないけれど、上記のような優しい言葉をかけられるたびに、私は「これは必要な努力なのか」「それとも無理をしているのか」「やめたら甘えなのか」と、自分の怠け心と葛藤しています。
でもさ、人生頑張らなきゃいけない時とか努力が必要な時とか無理をしなきゃいけない時って、、、あるよね?
え、私も日本社会に洗脳されている?
どこまで力ぬけばいいの?
【結論】
努力をすることは大事、でも無理はダメ。
できないorやれない自分を許してあげること。でもそれを甘えや怠惰と混合しないこと。
自分は努力しているのに、周囲に「もっと頑張れよ!努力が足りない!」って責められるよりはマシかもしれないけれど、上記のような優しい言葉をかけられるたびに、私は「これは必要な努力なのか」「それとも無理をしているのか」「やめたら甘えなのか」と、自分の怠け心と葛藤しています。
でもさ、人生頑張らなきゃいけない時とか努力が必要な時とか無理をしなきゃいけない時って、、、あるよね?
え、私も日本社会に洗脳されている?
どこまで力ぬけばいいの?
【結論】
努力をすることは大事、でも無理はダメ。
できないorやれない自分を許してあげること。でもそれを甘えや怠惰と混合しないこと。
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