先週末、約2年働いたカフェから卒業しました。きれいなお花をもらったよ〜
小さな街で、日本人とスウェーデン人の夫婦が経営してるカフェ。(カフェリンク)
ここで働く機会を得れたことは本当にラッキーだったな、と思います。
いつも元気なオーナー夫妻には、南スウェーデン暮らしの楽しみ方みたいなのを教えてもらったし、スウェ人×日本人の先輩カップルとして、パトも含めて仲良くしてもらいました。(パトなんて、自動車免許をとる手伝いまでしてもらってさ。)
貯金の仕方とか、家の買い方、家事分担の仕方などのコツを聞いたりして、頼りになる先輩友人(しかも日本出身)が近くにいると本当に心強い。
以前、お寿司屋さんで働いていた頃は、夜や週末勤務も多かったし、当時頑張ってたスウェ語学校との両立ですごい忙しかったからか、パトとはかなり険悪な喧嘩ばかりしてました。
でもここ2年は大きな喧嘩もまったくせず、将来の方向がいろいろと決まり始めたのも、ひとえに彼らのおかげのような気がします。なんか、問題の解決方法を一緒に考えるセラピーをうけたみたいな?笑
また、もとからビールは好きだったけど、ワインや、コーヒー、料理、ガーデニング、ベーキング、カフェ全般的な知識・趣味も得られたので、私の人生はいろいろ豊かになりました。すべて中途半端な趣味なのが残念だけど笑
もちろん仕事関係でも、お客さん(とくに常連さん)との「他愛もない話」を楽しめるようになったのはよかった。第2・第3言語で生活していると、この「他愛もない話」へのハードルが高いこと!トピックが天気以外浮かばない笑
まだまだ何いってるかわからない時はたくさんあるけれど、スウェ人も日本人も、カフェといったような場でする「他愛もない話」はたいして変わらない。街にできる新しいお店の話だったり、イベント情報だったり、天気だったり、テレビ、家族・ペットの話だったり、スポーツだったり、お庭の野菜の育ち具合だったり、本当「他愛もない話」。でもそういった話ができるかできないかだけで、なんかちょっと違う気がする、ようなそうでもないような笑
なので、しっかりお給料はもらっていたけれど、なんだか遊びに行く感じで働かせてもらってました。本当ラッキー!
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さて、これからのこと。
過去2年、特にSAS3が終了してからはいろいろと就職活動をしてきました。あまりうまくいかず、、、というか振り返れば、どこを目指しているのか途中で不明瞭になっていました。
大学時代は、ひたすら「人の移動(移民)」に関することをやっていました。外国人研修生でなんとか賄ってる地域産業の状況、母語を持たない子どもたちの教育問題とか幅広く。
スウェーデン交換留学時にいろいろ感化されて「出身学部とはまったく関係ない分野でも就職できる日本の就職制度」に微力ながら反発し、就活を全くしなかったけれど、大学卒業後はスーパー運良く、自分が学んだ分野にそれなりに近い職を得れました。たった1年だったけどすごく楽しかったです。
人生ここまではすごく順調だったので(笑)、スウェでもそういった分野で就職しよう、できるだろうって最初は考えていました。とくにスウェーデンは、移民・難民、日本の数倍以上受け入れていますから。
でも、こちらに移住してからぶちあたった問題は「こんな私に何ができるのか」。
最初の頃は、ソマリアや中東諸国から難民としてやってきた人対象にスウェーデン語(アルファベットの読み書きや簡単なスウェーデン語)を教えるインターンに挑戦してみたりしました。
その教育機関では、教える側もロシア人やイラク人、イラン人、ボスニア出身者などばかり。二世ではなく、私のように大人になってから移住したグループ。
まだまだスウェーデン語を伸ばしたい意欲に満ち溢れていた当時の私は、「移民100%・移民が喋るスウェーデン語に100%囲まれた」環境にちょっと居心地の悪さと焦りを感じて、そこから飲食業で働くようになりました。
飲食業は、高度な語学力は求められないけれど、同僚のヤングなキャピッた女子たちやお客さんとのやりとりは、スウェ語をスウェ人と喋る「慣れ・度胸」を与えてくれたのでよかったです。
でも、大学時代に真面目に勉学に取り組んだ手前(自分比)、やっぱり移民・難民関係の分野の職をそれでも探し続けた自分。なんとなく、過去の頑張りを捨てるのが嫌だったのが理由でしょうか。
某ハロワの事務職や、コミューンのインテグレーション部署、コミューンが受け入れた特定難民をピックアップしていろいろお世話する部署、成人教育部署などなど、いろいろそっち系の職に応募し、ぼちぼち面接にも呼ばれたけれど、面接を受けるたびに湧き出る疑問。
「私はこの分野で本当に働きたいのか」
私の気持ち以前に、採用されなかったわけだから単純に私の力不足だけれど、移住当初のモチベーションが大きく方向転換しているように感じました。めっちゃ大変そう。。。(゚Д゚)
昔も今も変わらず、スウェーデンの手厚い人道支援は素晴らしいと思うけれど、元凶を解決しなければ、難民送り出し国の状況は変わらず、これからもどんどん人が欧州(北欧)へ流れてくるだけ。難民なのか、経済移民なのかはっきりしないグループも多い。
私はそこまでよくできた人じゃないので、自分の生活が頓挫しているときは、他の移民マジョリティグループが無意味に羨ましくなったりもしました。
また、福祉・教育分野での就活は、一般的なスウェーデン人大卒組だけじゃなくて、こちらで生まれ育った移民2世の大卒組(アラビア語やペルシャ語、ソマリア語等ができる)、また大人になってから移住した大卒組(母国での職歴が長い)人たちとの競合になります。そんな人たちに勝る私のメリットってなんでしょう。笑
日本企業や日本語教師等、日本人であること・日本語ができることを強みとした職なら可能性はあるだろうけど、ここベクショーにそんな企業はない。日本語教師は週1、2日の職。
と、いろいろ紆余曲折しているうちにたどり着いたのが、医療職でした。
ちょうど昔の同僚のスウェ人女子が、地元のYrkeshögskolanで開講されている歯科助士のコースに通い始めたことを聞き、「そういや小さい時、歯医者に行くの好きだったな。スウェーデンの予防歯科って有名だよな。」って思い出して、そこからなんとなく歯科医療系を意識するように(単純。笑)
それに、私たち兄弟がお世話になった第二の父のようなおじいちゃんは、昔どう考えても金儲け主義の歯医者にあたって、十万以上かけて治療したにも関わらず、80歳を超える今はもう歯がボロボロで、食べられるものが限られています。あんなに好きだった鱒寿司も今は食べられなくて。。。彼が「歯が悪くて、、、」って言うたびに、当時のことを思い出します。健康な歯が保たれていれば、彼は今ももうちょっと元気だったかなぁと思ったり。。。
脱線しましたが、歯科助士は資格職にはならないけれど、やっぱり、看護師をはじめ医療職の多くは資格職なので、その分就職は守られているような感じがします。「そのプログラムを終了していないと働けない」っていう分野の職が、30間近になっても特定の職歴が浅い自分が戦えるフィールドなのかと。これから数年を勉学にあてるのであれば。
Yrkeshögskolanで開講されている歯科助士コースは、高校の成績で合否が決まるので私は絶対入れない。そしたら大学、ってなるけれど、競争率の高い歯科医師プログラムなんて絶対無理だし、残るは「歯科衛生士」。
スウェーデン国内の、歯科衛生士プログラムは、ウメオ、カロリンスカ、ヨンショーピン、ヨーテボリ、クリファンスタ(kristianstad)、マルメにあります。
そのうち、マルメとカロリンスカは2年のプログラム。その他は3年のプログラムになります。
スモーランド在住ということで、今のところヨンショーピンが第一希望ですが、幸いなことに合格基準もそこまで無謀ではない。HP利用で、第一選抜だと合格最低点が0,75。
なんとなく歯科衛生士プログラムも、看護師プログラムと同程度ぐらいの合格基準だと思っていたけれど、ちょっと低めのようです?
マルメが一番合格基準点が高いですが、首都圏にあるカロリンスカでさえHPの合格最低点は1.0以下です。
先週、ようやく最後のNaturkunskap2の成績が反映されて、申請した全てのプログラムがbehörig(申請資格有)となりました。あとは7月の合格発表を待つだけです。たぶん大丈夫だろうけど、やっぱりどきどき。
何より、やっていけるかが不安。通学時間も1時間以上かかるし。まぁ何事もやってみないと、今の環境は変わらないので。
もしプログラムについていけて、続けていけることができれば、その時は引越しを考えるかな。って、取らぬ狸の皮算用ってやつ?
どうなることやら。ひとまず、今年の夏はサマージョブをがんばります!
スウェーデン、学費が自己負担ゼロで助かります。 そうじゃなきゃ、こういった進路は選択肢に入らなかっただろうな。 |
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