20 2月 2018

同調圧力。konformitet

心理学のコースで映画を見ました。

心理学といっても、神経心理学、老年学、ストレス等々、扱う分野は広いんですが、今は社会心理学やってます。

人間は1人では生きていけない。人間というものは、どうしても社会との繋がりを求めるものであり、社会から、そして他者から少なからず影響を受けながら自我を確立していく、、、

そんな社会心理学授業の題材として観た一つのドイツ映画がとても興味深かったので、ここで紹介したいと思います。

Die Welle (The wave) 2008年 ドイツ。

このブログ(https://blogs.yahoo.co.jp/yazaanemone/31873821.html)記事で、映画の全体像も私が書きたいことも(笑)、とてもわかりやすくまとめられています。


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日本で今でも平和学習が盛んに行われているように(地域柄もあるのかな?)、今でもドイツでは、ナチスをはじめとする独裁主義、Autokratie (専制政治)についての学習にたくさん取り組んでいるようです。

しかし、第二次世界大戦を知らない世代からすると、もう散々同じような内容を学び、今さらそんな独裁が起こりうる社会ではない、となかなか学習に身が入らない。
その点は、ドイツの高校生も平和学習に対する日本の多くの高校生も似たようなものじゃないでしょうか。


この映画は、そんな専制政治をクラスで疑似体験してみるというストーリー。

「リーダー(先生)には敬称をつけて呼ぶ」

「意見がある時は立って発言する」

そんな小さな事柄を「規律」として生徒に押し付け、担任主導の専制政治ごっこが始まります。


最初は冗談っぽく従っていた生徒たちも、みんなで何か同じことをやるという行為が新鮮で「クール」に感じられたのか、どんどん専制政治ごっこにはまっていくようになる。

はじめは些細な内容だった「規律」も、

「ユニフォームとして白シャツにジーパンを着て登校する」

「決まったポーズで挨拶をする」

と、側から見ればちょっと怪しげな方向に進んでいくも、当事者の高校生はクラスの「一体感」「仲間意識」に快感を覚え、このプロジェクトはどんどんエスカレートしていく。


映画の中で、1人の少女がずっとこのプロジェクトに反対して抵抗を続けるんですが、最初は彼女に同意していた彼氏や友人も、どんどん多数派に傾いていき、最後は孤立する彼女。


専制政治ごっこを通しいろんな規律に従っていくことで、考えや意見さえも同調していく。はじめは、生徒たちは「自分は独裁主義には染まらない」と思っていた。でも、本当に気づかないうちに、あっという間にファシズムの中にいる。その中にいる生徒たちはそれに気づかない。

そんな強いグループ意識を得てしまったクラスは、それに従わないものを「悪」であり、自分たちとは違う「他の奴ら」と差別化し、自分たちの行なっていることを「正しいこと」「正義」だと思うようになる。


最後はもうカオスです。大惨事です。



この映画は、人間はいとも簡単に周囲の他者から影響を受け、マニュプレイトされていくのかっていうのを、恐ろしいぐらいわかりやすく描かれています。

観てて怖くなりました。




社会心理学の分野でよく聞く定義として「conformism」があります。なんて訳せばいいのかわからないけれど、同調、体制に順応すること、という意味合いです。

もちろん悪いことではなく、conformityがないと社会はカオスになります。

日本ではこの同調意識がかなり強いのはよく知られていること。


特に教育現場では、この映画で「規律」として実行されていたいくつかの事柄は日本では当たり前のことです。


「先生には「先生」をつけて呼ぶ」

「席は二列。クラスのみんなで助け合う」

「制服」

「発言は挙手して立ってする」

「授業始め終わりの、起立礼着席」

。。。。


どれも私は日本の小中高校と普通に従ってきた行為です。


だって、「そう」だったから。

意味ないだろうってずっと思ってた、保健係が毎朝する健康チェック。
「○○さん」「はい元気です」

意図がよくわからない校則。

みんなで歌う校歌。

絶対顧問主義の部活動。

等々。この映画内では「専制政治ごっこ」に使われそうな題材ばかりです。


ただ誤解を恐れずにいえば、学校の規律に関しては賛成です。

というもの、ティーンエージャーというのは良くも悪くもパワーがありあまっていて、そのパワーを他のことに使ってしまい、一生を棒にふる危険性も大いにある。

大人がある程度、不安定な部分をコントロールするのはいいことだと思います。

それに、規律性に富んだ日本社会だからこそ、うまく社会が動いているのだと思います。だってあんな小さな島国に一億人以上が規律なく生活なんてしたらカオスよ。



でも映画をみて恐ろしくなったのは、

「一体感」「同調」の為だけのいろんな規律を守ることにより、グループ所属意識が強くなり批判的に物事を考えることができなくなること。

グループ全体の価値観が自分の価値観にすり代ること。

グループが「良い」って思っているんだから、これは「良い」ことだと良し悪しの判断を自分の価値観に従わず、グループに任せること。


映画をみていて気分が悪くなったのは、「お前もそうだっただろう」って言われている気がしたから。


私は、同調圧力に弱いです。

「みんな」に反対するのは怖いし、できるなら大多数の意見に流されていきたいと思うし、自分の正義もポリシーもすっかすかの空っぽなやつです。

幼稚園時代から制服に身をつつみ、先生の言うことはよく聞く「良い子」であり、クラスの子とは助け合い、学校の校則はもちろん守り、暴力暴言に厭わない部活を小中高と続け、対してやりたいこともないのにセンター試験を受け、大学に進学しました。

大学ではサークルに入り、バイトし、飲んで騒いで講義に出て、合コンしたりと、絵に描いたような大学生活を送っていました。

だって「みんな」そうしてたから。

でも、ちょっと意識の高い系だった大学時代にスウェーデンで留学したことをきっかけに、帰国後は「就活をしない」っていう人生で初めて「少数派」の選択をしてみました。


それでも、小さな頃から育まれた私の「同調意識」は今でも強く残っているなと自覚しています。

定職につき、結婚し、子どもを産み、家を買い、車を買い、旅行をし、、、、

スウェーデンの社会的normは、日本のそれに比べたらまだ弱いもんだけど、それでも「同調圧力」っていうのは存在する。

一部のヒップスターな子を除けば、多くのスウェーデン女子が、似たような黒ずくめコンバースファッションに身を包んでいるのもその証拠です。

私のこれからやりたいことが、「みんな」がしてるからそうしたいのか、それとも自分の価値観で判断して本当にしたいのか、よくわかりません。


「自分」とは何か。
「Självbild」はちゃんと確立できているのか。


なんだかたくさん考えさせられました。



あ、おそろしいことにこの映画、実話を基に制作されています。


第二次世界大戦の悲劇は2度と繰り返してはいけない。
それだけは、同調圧力に屈しないでいたい自分の価値観だと思う。
それに、社会がずっと戦争反対の姿勢でいてほしい。


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