21 2月 2015

Tanten med väskan: 正と悪。

1985年、阪神タイガースが日本シリーズを初制覇した年、スウェーデンはベクショーで話題となった一枚の写真。

写真 Metro
  写真家Hans Runessonのこの作品は1985年の「Årets bild(今年の写真)」にも選ばれ、対極右を象徴する代表的な一枚です。この舞台がベクショーだからというのもあるけれど、私も学校やニュースなどで何度も目にしたとこがある、有名な写真です。

1985年の4月に、ネオナチの団体が「許可を得て」大広場でデモを行いました。ここへ、反ネオナチの人たちが押し掛け、大乱闘となる事件が起こります。この写真は、そこで中年の女性が自身の鞄でデモ隊の一人を叩くシーンです。

 この女性はポーランドに縁(彼女の母親がポーランド出身で母親が強制収容所に収監された)があり、彼女のネオナチに対する感情は多くの人の共感を呼びました。でも、この「許可を得て」自身の政治的思考を表現してた人たちに、イリーガルである暴力をふるった女性。

どっちか正しくてどっちが悪いのか。

このとってもcontroversioalな写真がなぜ今頃になって注目されているかというと、この鞄をもった女性の銅像をベクショーに設置しようとしたけれど、結局政治家がこの計画にNOという決断を下したから。

私もこの決断を支持するけれど、最近よく考えること。

正義って?
どっちが正義でどっちが悪?

(私の大好きな)堺雅人が主演した「リーガルハイ」でも扱われていたテーマだったけれど、ひとつの事柄も見方を変えれば悪と正義がいとも簡単に入れ替わるし、自分の中の価値観(何が正しくて何が悪が)や感情にどうしても左右されるもの。そしてその価値観って人によって違うもの。ソーシャルノームだって明確化されたものではない。

だからどうしても、互いにわかりあえないものってある。

パリの風刺画雑誌「Charlie Hebdo」への襲撃テロ事件、そして先週のデンマークでの銃撃事件。

言わずもがな、この二つの悲惨な事件は許されたものではないし、どんな背景があっても「人を殺してはいけない」というのは社会的ノーム。(死刑の話はおいといて、、、)

じゃーあの不快感しか得られない風刺画は「正」なのか。

東野圭吾作品の「さまよう刃」を読んだときも同じような、言葉に表せない、自分の中で咀嚼できない感情を覚えた。

何が正しくて何が悪いのか。

やっぱり考えてもよくわかんない┐(´ー`)┌





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