部活を否定するつもりはないけど、御意。「部活とブラックバイトで培った経験が、ブラック企業でも働ける感覚を作りだしている。限界まで耐えてしまう背景の一つには、こうしたこともあるのではないでしょうか」https://t.co/dgrbHoINRJ— Tatsumaru@東大へ逆輸入され中 (@tppay) 2017年3月8日
もと記事はコチラ。「辞められない、休めないブラックバイト。なぜ学生はその理不尽さに慣れてしまうのか。」
この記事では、若者がブラックバイトに陥ってしまう原因の一つには、部活動を通して先輩や顧問の先生から理不尽な扱いを受けることに慣れてきってしまっているから、といった仮説が書かれています。
これを読んで、あぁなるほどなと思うと同時に、それでもあの部活動には意味があったよなって思ってしまう自分もいました。
私は小学校から高校で引退するまで、バレーボール部にずっと所属していました。盆正月関係なくほぼ毎日練習があったし、先輩後輩関係もそれなりに厳しかったし、理不尽な顧問に人格否定されても、それが普通、顧問は絶対といったような「部活動」でした。特に小学校時代はビンタされまくりだった世代です。
もちろんバレーが純粋に好きだった(時期もあった)し、試合の緊張感は大好きだったけれど、なぜ部活を続けたかといったら、単に「辞められなかった」というのが大きな理由のような気がします。「途中で辞めるのは恥だし負け。ツラくとも苦しくとも最後までやり通すことが大事」っていうあの体育会系特有の価値観にガッチガチにしばられていました。(残念ながら、純粋なバレー好き少女から義務で部活を続けているツマラナイ奴になってしまったから、今クラブとかでバレーしたいとあんまり思わないのかも。)
部活動は理不尽なことばかりだったけど、それでもバレーをやり続けてよかったと思うし、バレーを通じてできた友人は今でも連絡を取り合う仲です。
というような具合に、実際「厳しい」部活動をやりきった人は「厳しい部活動の問題点はいろいろあるけど、まー自分はやって良かったよ」っていうスタンスの人が多いような気がします。
部活動に加えて、センター試験についても似たようなことが言えます。
詰め込み型で暗記力が問われる試験なんて全く役に立たない、時間と労力のムダ!っていう人もいるし、自分もそうは思うけど、でも私はセンター試験を経験したことは良かったと思っています。良かったと思いたいんです。
このように、過去に自分が行った行動は、たとえそれが無駄だったり、無意味だったかもしれないけど、それでも自分ではその行動には意味があったと肯定したいから、無理やりメリットを探そうをするんだな、と最近考えるようになりました。自分で選択した行動を否定したり否定されたりすると、過去の自分自身までも否定することになるから。
また、自分が当時正しいと思って行った行動を、それは間違っていたって言われたら、誰でも不快な気分になると思います。
最初の記事とは趣旨がずれてくるけど、このような考え方は、心理学の分野では「合理化」というそうです。所謂自己防衛機能。合理化には酸っぱいぶどう理論と甘いレモン理論があります。
酸っぱいぶどう理論は、たわわに実る甘いぶどうを食べたいキツネ。でも高い位置にあって届かない。だから、どうせこのぶどうは酸っぱいさ!と自分に言い聞かせてブドウを諦めるっていうイソップ童話が由来。つまり、何か手に入れたいものが手に入らない状況で、その不満をそれはどうせ大したことないさって思い込んで心のバランスを保つこと。
甘いレモン理論はその逆で、頑張って手に入れたレモンだけど、やっぱり酸っぱい。でもせっかく手にしたレモンなんだから甘いはずって思い込むこと。
ふと思ったけれど、そういった理不尽な行動にあふれた部活動だったり、ブラック企業体制を改善するべき立場にある人たちは、かつて厳しい部活動を耐えた熱血体育会系の顧問だったり、ブラック企業でのし上がった上層部だったりします。でもその人たちは、それが正しいと合理化された信念を持っているわけだから、そのブラック体制を改善しようなんて思えるわけなくないですか。
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こういったことを意識するようになってから、人からのアドバイスも丸呑みにしないよう、人の意見に一喜一憂しないようになりました。
私はスウェーデンに引っ越してから、現在進行形で道をさまよっていますが笑、その都度いろんな人にいろんなことを言われました。老若男女日本人外国人含めてです。
自分の体験をもとに、いろいろとアドバイスをしてくれる人はとてもありがたいですが、それが「絶対こうすべきだよ!私もそうしたし!」だったり、自分でしてないことを「絶対やめたほうがいいよ!意味ないよ!」っていう押付けスタンスで言ってくる人より、「私はこうしてこうだったけど、こうしてもよかったかな」っていう反省点や改善点を含めて言ってくれる人に耳を傾けたいし、自分もそういう風にアドバイスできるようになりたいです。
なんのこっちゃですが、頼んでもないのに勝手にアドバイスしてくれる人たちが、甘いぶどうを酸っぱいと思ってないか、酸っぱいレモンを甘いって思い込んでいないか、意識するのは大事かもしれません。
こういうのは、生まれ育った日本でのことだったらなんとなく自分で判断できるけど、未知の国スウェーデンでのことになると、何の決断がよくて何がダメか、自分の判断基準がまだ不確定なので、人の意見に影響されやすいような気がいます。
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それにしても、あの部活動で得たものはいったいなんだったんだろう。筋力や体力はもちろんだけど、忍耐力?
でも理不尽なことに耐えなければならない状況は健全ではありません。理不尽な扱いを受けたら、それが上司だろうと先輩だろうと友人だろうと抵抗するべきなのです。理不尽な扱いを受けていい人間はいません。まー確かに世の中理不尽なことばっかりだけど、それに対する「忍耐力」を部活動を通して鍛えなくてもいいでしょうよ。
っていうかそもそも理不尽って何?
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