09 2月 2022

スウェーデンと日本の違い: 足の長さとintegritet。

なんだか最近、2018年に書いた「目に見えない文化の違い。」というブログ記事がやたら読まれているようです。なんでだろ???

まぁでも自分で読み返してみると、当時の自分のモヤモヤがよく表現できてるわ笑

その記事を読み返して思ったのが、今は「普通」とか「社会の常識」にそこまで縛られなくなったけど、それがスウェーデン在住期間が長くなって色々と慣れたおかげ、というのもあるけど、やっぱり年齢を重ねて「おばちゃん」になっていくと、周囲のことをあんまり気にしなくなりますよねw

在住10年の今、スウェーデンと日本の文化の違いは何?っと聞かれたら、それに対する答えはいっぱいあるけど、最近ようやく気づいたこともあります。

今日はそれについて。

最近学んだ、スウェーデンと日本の違いは、integritet(インテグリティー)とautonomi(アウノトノミー)に対する考え方、です。

これ、大学の授業でやったんですが、医療現場ではすっごく重要な論理観で、口説いぐらいやります。もう3年間ずーっと耳にする単語です。患者のアウトノミーを尊敬して、インテグリティーを侵害しない云々。

でもこの2つの定義が非常に難しいんですよ。でも知れば知るほど、「これがスウェーデン社会観の真髄だわ…」と感じるし、「あーだからこっちの人はそうなのか」としっくりきたりします。

簡潔に自分の理解の範囲内で説明すると、まず、インテグリティーは身体的にも精神的にもいえます。身体的なインテグリティーは、個人のパーソナルゾーンって感じ?相手の身体的インテグリティーを侮辱する(kränka)するということは、相手の同意無しに身体を触ったり、近づいたり、パーソナルゾーンを侵害するということ。昔の医療系話で言えば、人体実験は明らかに患者の身体的インテグリティーを侵害しています。それに、同意無しの性交渉や痴漢もこれにあたるかな。

(参考記事: スウェーデンで明確な同意がない性行為は違法に

それに、もっとスウェーデンらしいと思うのが、精神的インテグリティーへの考え方。個人の価値観や意見、信念などは個人のものなので、他者がそれを侮辱したりする権利はないという点。

こう聞くと、日本だってそうじゃんって思えそうだけど、この考え方が個人レベル、超身近な生活レベルまで徹底されているような気がするんですよ。小さな例でいえば、ミドサーの私は日本ではものすごく「結婚しないの?子ども欲しくないの?子ども作らないの?」って、大して親しくもない人からも聞かれたりするけど、スウェーデンではなかなか初対面や知人レベル、友人でさえ、直接的に聞いたりされない(注意※特定の文化圏出身者にはすごく聞かれるけど笑)

これも、「結婚するかしないか、子どもを持つか持たないか」は、私個人の範囲内にある問題で、他人が入ってくるべきではないっていう考えがベースにあるからかな?

あと容姿に対するコメント。日本って近い存在であればあるほど、「太ったよね?」「デブ」「ブス」って言いやすい文化な気がするけど、スウェーデンだと容姿に対するコメントって家族間でもタブーな気がするのは私だけでしょうか。もちろん女子同士で冗談っぽく、「彼イケメンよねー!かっこよいわー!」って、オトコの話はするけど笑。

よく日本で聞かれる「それ、あなたに関係ありますか?」っていう質問、こちらではなかなかされないのは、このインテグリティーへの考え方の違いかも。

インテグリティーと似てる定義で、アウトノミーというのもあるんだけど、これは「自分で決める権利」って訳していいのかな?

医療の現場では、患者に病気や治療の情報をきちんと与え、どういった治療を望むのか、患者自身が決める権利の意味で使われます。

これでピンときたのが、年始に見た映画「フェアウェル」でよーく表現されていると思います。

ガンの告知を患者本人にはしない中国(東洋)と、本人に告知するべきだというアメリカ(西洋)



患者がガンであることは患者自身が知るべきで、それに対してどうやって治療していくかも本人が決めること。これがアウトノミー原理かな。

でもご存知の通り、この「自分で決める権利」って医療現場をこえて、スウェーデン社会にものすごく根付いている価値観ですよね。


移住した当初、コミューンやハローワーク(Arbetsförmedlingen)に行っても何もしてくれないと感じた体験。

でも一方で、

「私はこうしたいと考えているけど、それに対する情報がない。何か知っていますか?」
「私はこうしたい。そのために受けられる支援はありますか?」
「私はこうしたい。そのためにはどうすればいいですか?」

と、具体的だったらもしかしたら何か手を差し伸べてくれるかも?(人によるけどw)

こちらの要望ゼロから、あちらから提案してくることはよほどの事がない限りないでしょう。

良い意味でも悪い意味でも「お節介さ」がない!
そういった点で、スウェーデン社会って冷たいよねって感じたりするのかも。

良かれと思って何かしてあげても、お詫びや感謝の言葉もない。(頼まれてやったわけじゃないわ)

数人で会話してると、日本人同士だと全員が会話に入れるように、気を使って話題をふったりしあうじゃない?そういう気遣いってこちらで皆無!「本人が喋らない=喋らないと自分で決めた、無理やり喋らすべきではない」って思考回路になるのかな?
だから、いくら言語の問題で会話に入っていけずに黙ってても、だーーーれーーーも話題を振ってくれませんから。冷たくない?

でもね、これも「人による」わ。

人生でいろんな人と関わって生きてきている人だったら、こういった気配りができる気がする。でも、スウェーデンの田舎で生まれた時から似たようなメンバーでつるみあってきた人はそういった気配りができない?まぁこれは個人の性格によるだろうけど。


と、話は変わって足の短さ問題。

私は身長165cmでそこまで低い方ではないんだけど、やっぱり足が短いようで、図書館やレストランといった、公共の場の椅子の高さがことごとくあいません。

某大学の図書館の椅子。

と言うとこで、家ではカッコ悪いけど、ソファーの背もたれやクッションを足置きとして使っています。いつか良さげな足置きをロッピスで見つけたいな。

前のアパート。こうみたら植物がかなり成長したなぁ。

足も手も短い私。でもこれはもうどうしようもないよね〜

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