30 4月 2013

視点。

ちょっと抽象的なことについて。

自身が見ている側面以外の観点から、物事を見たり考えたり、いわゆる「視点を変えて物事を捉える」ことは、少なくとも大学教育を受けてきた自分には備わっていなければならない最低限の事柄だと思うけど、これがなかなか難しい。この世に存在する物事で100%正しいものなんて何もない、すべての物事は善し悪しが表裏一体。

論理的で客観的な意見を述べること、いくら学校で勉強しても、いつ身に付くのか、そもそもそれが身に付いているのかも自分ではよくわからない。というか、わからない時点で客観視できていないじゃないですか。

客観的に物事を見ようと思って、いろんな人(方面)の意見を聞く。あーそういう見方もあるな、そう言われてみればそうだな、と自分の意見がころころ変わってしまう。この弱さ。

何十カ国出身の人たちと一緒にスウェーデン語を勉強している中で、この「視点を変えた見方」についてよく考えさせられる機会がある。それなりにいろんな視点から物事を見ようと思っている自分であっても、予想以上の角度の変化球でこられると、もう何が常識で何が普通で何がノームで、何が正しいのかわからなくなる。


と、こういった抽象的なことを言葉で表すのが苦手な私。(だから外国語も伸びないのよね^^;)

こんな話を知人にしたら、日本では若者の言語力の低下が問題になっているとかいないとか。ちょっと前に、現役小学校教諭の方が書かかれた小学生の日本語力に対する危機的状況…のような本を読んだけど、そこでは小学生の説明能力の無さだったり、表現力の低下、それに伴う「考える力」の低下など、散々な状況が書かれていたような気がします。

たった半年だけですが、小学校で小学生たちと過ごしてみて思ったのは、そりゃーおしゃべりな子もいれば無口な子もいるし、人前で話すことが得意な子もいれば、苦手な子もいる。それを個性といってしまえば簡単だけど、いくら無口な子でも、聞く側が質問でもすればしっかりと自分の話ができるのなら問題はない。
ただ、少なくとも周囲の友人たちを見てみるとやっぱり小さいときから家庭で会話があった人たちは、物事を話すのが上手だな〜と思う。難しい話だけではなくて、例えば昨日あった出来事なんかを、順序立てて(面白おかしく)話す友人と、私のように良く言ったら自然にのびのびと、悪く言ったらしっちゃかめっちゃかに話す友人と…

人様のことはおいといて、私自身この言語力の無さを、家庭での会話の少なさだったり、日本での教育のせいにするのは簡単だけど、もう自覚している分自分の努力で何とかしないとね^^;
まー自分が子どもを持ったときは、いろんな話ができる関係を築きたいと思います。

この問題に絡んで、移民の子ども達の話を少し。
大学時代に「母語を持たない子どもたち」という表現を聞いたことがあります。

多くの日系ブラジル人がDEKASEGIとして日本へやって来たのが90年代。自動車産業や電子機器産業が盛んな一定地域に集住する形になったのは周知の通り。私の大学時代のゼミの先生の言葉を借りると、「ドイツで深刻化するゲストアルバイターのような移民労働者は受入れたくない。でも安い労働力は必要…という見解のもと、政府の打ち出したウルトラCが、日系人へのビザ優遇措置。そしてそれが今は外国人”研修生”になった」と。はい、超左寄りな先生でした。

この日系人にまつわる問題は多々あるけれど、やっぱり被害者はいつも子ども。親は昼夜働き詰めで、なかなか家ではポルトガル語で深い会話をする機会がない子どもたち、また一方で日本社会との繋がりが希薄なため日本語も年相応に発達しない。そういった子が非行に走りやすいのは、まー想像に難くなく。これもうろ覚えですが、集住地域の少年院の半数は上記のバックグラウンドを有しているとかいないとか。
「母語をもたない子ども」がいかに深刻な問題なのか日に日に実感するようになりました。日常会話に問題が無くても、心の中にある感情だったり、自分の考えを的確に表現する形容詞等を知っているか知っていないかで、抽象的な固まりを頭の中で整理整頓できるかが決まってくるような気がします。義務教育時代に散々聞かされてきた「考える力」だって、考えることを表現する言語力が無ければ糠に釘。

ちなみにご多分に漏れずスウェーデンも超移民受入国ですが、三度の飯より子どもの権利を大事にするお国柄、移民の子どもが母語教育を受ける権利というものがあります。ただ、それを教える先生の数が足りないのが現実だとSFIの先生が言っていました。それに母語教育をする側にも正式な教職課程の履修を求めるなど、何だかかんだか制度が変わった?変わる?ようで、現在日本語母語教育に携わっている方の間でホットなトピックだそうです。
またこれも又聞きですが、この母語教育の成果が出たのが近年の中東での混乱が起きた時。スウェーデン語に加え、アラビア語やペルシャ語などの知識を持った移民第2世代のジャーナリストが大活躍だったそうです。

とりとめもない無いようだけど、最近の私の頭の中のblablaをこんなところで吐き出してみました。




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