25 2月 2013

Melodifestivalen。

2009年の3月、交換留学生として生まれて初めてヨーロッパに来た私。

初めての留学。ちょうど怖いもの知らずの時期で、大した語学力も無いのに一人でガンガンと突っ走っていた、一番社交力が高く一番痛かった頃でしょうか。確か到着してからちょうど2週間経った頃だったと思います。ちょうど友だちがストックホルムに遊びに来るということ。この機会に私も観光しようと思い立ち、片道3時間弱かけてストックホルムへ遊びに行きました。ここでは、日本で知り合ったストックホルム在住の友人がいろいろと案内してくれたお陰で、暦の上では春ですよね?と疑いたくなるような天気の中で、十分楽しむ事ができました。

滞在中、友人たちはホステルに泊まり、私はその友人宅に泊まらせてもらいました。
ちょうどストックホルムに着いたその日、感動の再会を果たすやいなや「今日は早く家に帰らなきゃ☆」と早々に家路に着く友人。「え?もう?まだこんな時間ですけど。ストックホルムだよね?飲みに行ったりとか夜景見たりとか無し?」(※外食費がものすごく高い等、基本的観光知識は皆無の状態です)と、愛想笑いの裏で心から落胆したのを覚えています。

それも理由が「今日は音楽の祭典のファイナルだから!」とのこと。「はい? 」とリアルに顔は (゚△゚;)な感じだったでしょう。たかがテレビ番組のために???と頭の中にはたくさんの???ばかりでした。


………
私は知らなかったのです。その音楽の祭典が「Melodifesitivalen」であることを。そもそも音楽関係に疎い私は、「Melodifesitivalen」が何かも当時は知りませんでした。

Melodofestivalenとは、毎年開催される「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」と欧州で最大の音楽コンテストに向けた、スウェーデンでの予選コンテストのこと。2月から3月にかけて、毎週土曜日にスウェーデンの様々な都市で予選が行われ、その各予選から勝ち進んだ歌手(各予選2組)がストックホルムでファイナルを行い、そこで優勝した人がユーロビジョンにスウェーデン代表として参加します。(私が思うに、非常に平等に審査されていてここでもスウェーデンの高い民主主義を感じました…)

そもそもユーロビジョンなんてのも知らなかった私は、友人が足早に帰宅し、テレビの前でスタンバイする気持ちが全くわかなかったんですが、今ならよーく理解できます。スウェーデンのみならず、欧州中でこのイベントってすごく盛り上がるんですね。
ひたすら暗くて長い冬のスウェーデンで、2月から3月にかけて開催されるこのイベントは一つの大きなイベントになってるようです。

melodifestivalenは今週末のセカンドチャンス(各予選会で3番手・4番手だった歌手)と来週のファイナルを残すのみ。

日本で人気絶賛中!だというYOHIOが無事通過。最初は彼のスタイルにびっくりしてしまいましたが、格好とは裏腹に(?)インタビュー等に答える彼の姿が非常に落ち着いていて、声も大人っぽくてそのギャップにドキドキしました。笑

私の一番のお気に入りは、恰幅のよいおじさん4人組のRavaillacz(ラバヤックス)。

Ravaillacz – En riktig jävla schlager
PHOTO*SVTHPより。
スペル難しすぎるでしょというこのグループが歌う、En rikrig jävla schlager (訳:本当に本気の流行歌。笑)が個人的に大好きです。なんででしょうね。おじさんたちが中腰で歌う姿がなんともスウェーデンらしいと感じたのは私だけでしょうか。なんだかこのメロディーや雰囲気から父親を思い出して、懐かしい気持ちになります。笑

ここから聞けます★

http://www.svtplay.se/klipp/1052742/ravaillacz-en-riktig-javla-schlager

17 2月 2013

Samernas nationaldag。

書き留めたい事がたくさんあるのに、なかなか時間のコントロールができない私。

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2月11日は我が愛する日本の建国記念日でしたがすっかり忘れておりました。

ちなみに…

日本の建国記念日は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる日、つまり神話をもとに設定されているんですね。日本は建国記念日、スウェーデンも建国記念日(6月6日。カルマル同盟から離脱した日)。しかし、世界の多数の国では「national day」は独立記念日である場合が多いようです。(wiki)


さて、この建国記念日に便乗して小ネタを一つ。

2月6日はサーメ人のnationaldag(ENG:national day)でした。サーメ人とは、スカンジナビア半島からロシア北部に居住する少数民族の総称で、非常にユニークな文化や言語を持っています。サーメ人は独自の国はもちろん持たないので、nationalと表記するのもなんだかおかしな感じですが、学校の授業でnationaldagと書かれた記事を読んだので、ここでもそう言われているのかな?

私はサーメの方たちの存在は知っていましたが、さほど興味もあまりなく、そこまで深くは知りませんでした。しかし、今回nationaldagをきっかけに、サーメの暮らしや歴史、文化等について読んだり、ヨイクと言われる独自の音楽を聴いているうちに、すっかりハマってしまいました。素敵すぎる。

特にこの民族衣装。真っ白い雪景色に鮮やかな衣装がものすごい映えていて素敵。


PHOTO*Lola Akinmade Åkerström/imagebank.sweden.se

PHOTO*Lola Akinmade Åkerström/imagebank.sweden.se




また、スウェーデン北部のヨックモック(Jokkmokk)では、サーメ人のマーケットが2月初めに催されています。なんとこのマーケットは400年も続いているとか。ここでは、サーミの工芸品等が購入できるようなので、いつか機会があればぜひとも訪れてみたいです。

このマーケットについて書かれているレポートを見つけたので、こっそりとリンクを貼っておきます。写真がとっても素敵です。http://www.kokemomosweden.com/special/same1.html



あと、何と言ってもヨイクと言われる音楽がサーメ独特の文化を特徴づけていると思います。


最近では、ヨイクをロックやポップミュージックと組み合わせて歌うサーメ出身のSofia Jannokのような歌手も出てきているようです。


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サーミ人繋がりで、自国の先住民族やマイノリティについてプレゼンテーションするという宿題がありました。そこで私はアイヌの事について話したんですが、いろいろ調べるうちに思い出したのが大学時代に履修していた同和教育論。この担当教授が断固「寝た子は起こすな論」反対論者で、最終レポートで少しでも「寝た子は起こすな」論容認のような内容を書いた学生は、バシバシと不可にされていたのを思い出しました…あと、やたら覚えている言葉は、「小泉元首相による唯一の善行は、アイヌを日本の先住民族と認めたことです!」とかなんとか。うろ覚えなので確かではないですが。

また、文字を持たなかったアイヌ語はもはや絶滅の危機らしく、母語として話す事ができる日本人は今15人ほどしかいないそうです。このように絶滅の危機に面している民族だったり、文化だったり、言語だったりするものは世界中にたくさんあるんだろうし、それは仕方のない事なのかもしれないような気がします。

05 2月 2013

クリスマス料理。

12月24日のランチからクリスマスパーティがスタート。

パーティといっても、

ランチ

おやつ

恒例のドラルドダックやディズニー番組をテレビで鑑賞

夕ご飯

プレゼント交換

デザート

飲みながら、そしていろいろつまみながらのボードゲーム大会。

・・・と、とことん食べ続けて1日が終わったような気がします。

メインは夕食のjulbordと呼ばれるクリスマス料理。バイキング形式で、温冷の魚料理・肉料理、じゃがいも、ヤンソンさんの誘惑、ニシンの酢漬け、チーズ多種類等等。
ちょっと乱暴ですが、写真を乱用します。 


冷たい肉料理代表・ハム。

冷たい魚料理代表・サーモン。マスタードソースと一緒に。

温かい肉料理・ショットブラ(肉団子)をはじめ、ターキー等。
左奥がポテトとアンチョビのグラタン・ヤンソンさんの誘惑。



パテも数種類。でも私は苦手〜





もちろんお酒もたくさん。

テーブルをセッティング。

お皿に一人一人取り分けます。基本は冷たい料理から…
ということですが、家庭でのパーティなのであまり気にせず。

振り返れば美味しかったな〜と思いますが、まー全部が特別な料理というわけではなく、サーモンもハムもニシンの酢漬けもその他料理も、普段やその他の祝日(ミッドサマー等)にも食べられるものなので、あまり特別観はありません。それでも、写真がなくて残念ですが台所に所狭しと並べられた料理の数々をみたら、こう…ワクワクしてきますね。子ども心がくすぐられると言いますか…
私も来年はいろいろと作れるようになりたいです。

ボードゲーム。最近ハマりにハマっています。



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24日のランチに食べられる、このRisgrynsgröt。ミルク粥と訳されるみたいですが、文字通りお米を牛乳で炊いたもの。それにシナモンやジャム、ベリー系のソースをかけていただきます。

小学校時代、給食が牛乳と白米の組み合わせになる月水金が嫌いだった私なので、この組み合わせは想像しただけで悪寒がしますが、それでも物は試しと食べてみました。




味の方はというと、お米の主張の無さのお陰か、ほんのり甘くてとっても美味しい!とまではいかなくても、食べれなくはありません。それでもちょっとでも気を許すと「お米+牛乳」という組み合わせを思い出してしまい、箸もといスプーンが進みませんでした〜…

また、この残りを使ったRis ala maltaというデザートも存在します。このミルクで炊いた米にさらに生クリームを加え、オレンジと一緒に食べます。こちらはなぜがもぐもぐといけましたが、どちらにせよ美味しく食べるコツは、お米であることを考えないことだと思います。


なんだか投げやりのように書きなぐったクリスマス記事ですが、こう思い返してみると楽しかったな〜。日本のキラキラしたクリスマスも好きですが、北欧のほっこりとした質素なクリスマスの方が私は好きかな。でも、その次にやってくる年越しは断然日本!しめ縄やお花を飾り、お正月料理の準備が進む台所を尻目に家中を忙しく掃除して、31日の夜は紅白を見ながら年越し蕎麦に刺身等。元旦は、お餅やお節をつまみながら年賀状を見て、頃合いを見ながら初詣。そして親戚で集まり(かつては)お年玉をいただく。そして箱根駅伝を応援!と、超王道な年越しを過ごしていた私は、やっぱり日本のお正月が恋しかったです。

まー仕方ない。

ちなみに今週は中国の春節なので、中国にゆかりのある人たち+アルファで春節パーティです。なんだかとっても楽しいパーティになりそうなので、今からとっても楽しみです。

04 2月 2013

julklappar。


き、気がついたらもう1月が過ぎ去り、いつの間にか2月になっていてちょっと本気でびっくりしています。月日は百代の過客にして…ではないですが、毎日が過ぎるのがあっという間。

もうクリスマスから1ヶ月も経ってしまい、今さら感満載ですが、書かずにはいられないjulklappar(クリスマスプレゼント)とjulbord(クリスマスビュッフェ)について。



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前回のブログでも書いたように、結構頑張ってラッピングしたクリスマスプレゼント。




これを全部引っさげて、電車に乗って彼の実家へ。



さて、 クリスマスツリーの飾り付けを家族総出で行い、



すべてのクリスマスプレゼントをツリーの下にセット。



言わずもがな本物のもみの木なので、部屋中にほのかに木の匂いがして素敵でした。




クリスマスツリーって見ているだけで心が躍ってきます。

そして24日、julbordと言うクリスマスビュッフェを食べた後に全員でプレゼント交換。ママがディーラーのようになり、一人一人にプレゼントを配ります。 それを一人ずつ、一個ずつ開けていくのです。全員のプレゼントが開けられるまでに・・・何時間かかったんだろう。

それでも、みんなの注目を受けながらプレゼントを一つ一つ開けていくのは、とってもわくわくしました。

私の戦利品。

中身は普段使える日常品が多いですが、一番嬉しかったのはこれ☆



RörstrandのMon Amie
せっかくスウェーデンに住んでいるのだからとちょっとずつ北欧食器も集めていきたいな〜と思っていた矢先の第一弾。数ある北欧食器の中でも、なぜかこのMon AmieシリーズやKulinaraシリーズを有するRörstrandに惹かれます〜このMon Amieも最初はそんなに惹かれていませんでしたが、よく目にするうちに…徐々に…見れば見るほど素敵に思えてきました〜北欧パワー?
こんな可愛らしいMon Amieの食器ですが、私はがっつり丼ものを食べる時によく使います!


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さてさて、ここでちょっと面白かった話。
スウェーデンは離婚するカップルが多くて有名ですが、それがクリスマスに与える影響について。

クリスマスパーティには、パトの従兄弟にあたる高校生の男の子もいたのですが、彼のお母さんは2回(も)離婚しています。 この子のお父さんは最初の旦那さんなので、まだ高校生だというのにお父さんが2回も変わっているのです。そして、この子には本当のお父さんからと2番目のお父さんから、
そして今のお父さんからのクリスマスプレゼントを受け取っていました!しかも本当のお父さんの今の奥さんからまで!一人ものすごい量のプレゼントを受け取っていたことは想像に難くありません。

スウェーデンの変わった家族観は結構周知のことですが、それでも初めてスウェーデンに来た時に、スウェーデン人の友人に「お父さんは今彼女と住んでいるよ」と言われたときに大きな違和感を抱いたことは今でもよく覚えています。

だから上記のような高校生の状況や、自分の兄弟の元配偶者が再婚した際に、 血のつながりのない自分を結婚式に招待したり「結婚しました!」っていうカードを送ったり、母違いや父違いの兄弟たちが何のしこりなく交流している姿を見ると、一般的な日本人家庭で育った私はもう訳が分からなくなります。自分も血のつながりに拘る人間にはなりたくないですが、それでもこの感覚は一生かけても理解する事は難しいので、そういうものなんだ、と思うだけにとどめています。

でもこの高校生の立ち回りがあまりにも大人びていたので、小さい頃からお父さんが度々変わり、子ども時代に他人である大人と関係を築くことを求めらる環境にあった子は、こんな子に育つのかな〜と思ってみたり。
と、julbordについては長くなったので、次の記事で。